クリニック専業の人材サービス企業が他にほとんどないから、です。医師の4割が従事する仕事でありながら、かつてはリタイア後のセカンドキャリアとしてしか理解されておらず、医学生時代からクリニックでの勤務が意識される機会が少ないのが実情です。実際にクリニック院長や勤務医に就任すると、病院での勤務とは異なるスキルが求められます。例えば会計・経理、人事、総務など、膨大な量の事務仕事が発生すると同時に、経営者としてクリニックのかじ取りの責任を負うことになります。例えば先月まで病院でバリバリ手術を行っていた外科医が、翌月から優秀なクリニック経営者になれる保証はなく、そこには入念な準備が必要なはずです。クリニックエージェントがこの事業を行うのは、医師のメジャーかつ情報の行き届かないクリニックの仕事に対して、働く機会を創出し、日本のプライマリ・ケアの充実に寄与するためです。
・医師に対して、クリニックの求人を提案し、クリニック院長・勤務医として活躍するために必要な情報を提供します。
・クリニックに対して、仕事の内容と自分の役割を意識した医師の応募を促し、自院に定着・活躍する人材を紹介します。
このマッチングを地道に誠実に行い続けることで、クリニックの受診者である患者やその家族の医療的な環境をより良くし、QOLの向上を目指します。またクリニック本来のプライマリ・ケアの役割が十分働くことで、病診連携が円滑に回り結果として、医療資源の最適化や医療コストの低減を実現できると考えています。
社名 | 株式会社クリニックエージェント |
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本社・店舗所在地 | 千葉県浦安市 |
代表者 | 板倉 宏充 |
設立日 | 2019年 10 月 28 日 |
資本金 | 500万円 |
事業内容(設立時) | 1.有料職業紹介事業(医師) 2.損害保険代理業及び生命保険の募集に関する業務 3.アウトソーシング事業の受託及び請負 4.求人、求職情報提供サービスの企画、運営及び管理業務 |
役職員数(設立時) | 1名 |
はじめまして。
クリニックエージェントの代表、板倉 宏充(いたくら ひろみち)と申します。
このページでは、私がどうしてこのクリニック向け医師紹介事業をライフワークとするに至ったのか、その経緯をお伝えできればと考えております。
まずは私の略歴をご紹介致します。
【略歴】
生年月日 1973年1月15日
・出身地
千葉県鎌ケ谷市、15歳で長生郡白子町へ転居
・経歴
1973年1月(0歳)
母が里帰り出産。福岡県筑後市で生まれる。帰京後、千葉県鎌ケ谷市に新居を構える
1979年4月(6歳)
市立鎌ケ谷小学校入学。新京成電鉄で1駅分の電車通学。趣味はプラモデルと読書、内向的な少年時代を送る
1985年4月(12歳)
市立鎌ケ谷中学校入学。吹奏楽部でトランペットを担当。チームプレーと人前で目立つことの楽しさを覚える
1988年4月(15歳)
中学卒業と同時に父の実家である千葉県長生郡へ転居。県立長生高校理数科入学。外房一の進学クラスで良き仲間と出会う。引き続き吹奏楽部でトランペットを担当
1992年4月(19歳)
一年浪人の後、早稲田大学第一文学部入学。初めてのアルバイト(飲食店)に没頭する
1996年4月(23歳)
株式会社京葉学院に就職。1,000名以上の生徒の通うマンモス校。茂原校で国語科講師として勤務
1998年8~12月(25歳)
仕事を辞め、4か月間バックパッカーとなる。アイルランド、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアを経て中国経由で帰国。世界の広さを知ると同時に、インターネットの可能性に触れる。帰国後は塾講師に復帰
1999年10月(26歳)
株式会社オズ・インターナショナル入社。EC(インターネット通販)黎明期で、面白いように物が売れる。業績貢献が評価され、28歳で取締役兼執行役員に就任。海外の標準治療薬を医師が日本に輸入する支援を行い、仕事を通じて初めて医療業界と接点を持つ
2005年8月(32歳)
株式会社リクルート入社。リクルートと三井物産が共同出資で作った会社に所属し、人間ドックの予約サイト「ここカラダ」の立ち上げに参画。事業統括担当としてバックオフィス全般を経験
2010年1月(37歳)
株式会社リクルートメディカルキャリアへ出向。看護師の人材紹介事業の立ち上げに営業(キャリアコンサルタント)として参画。営業エリアとして郷里千葉県を担当し、多くの医療機関を訪問する。のちに医師の人材紹介部門へ異動。法人営業部門のマネージャーに昇進
2017年1月(44歳)
株式会社ウィルオブ・ワーク(旧社名セントメディア)入社。自ら起案したクリニック向けの医師紹介サービス「クリニックエージェント」の事業部長に就任。3年間で20名以上の常勤医師紹介を行う
2019年10月(46歳)
ウィルオブ・ワークから事業譲渡を受け独立、株式会社クリニックエージェントを創業、代表取締役に就任。現在に至る
続いて、医療との関わりについて。
「病診連携(びょうしんれんけい)」
この言葉に出会ったのは、リクルート「ここカラダ」の立ち上げ時期のことでした。病診連携とは、病院と診療所(クリニック)がそれぞれの役割、機能を分担し、お互いに連携しながら、より効率的、効果的な医療を提供することを指します。本来クリニックがプライマリ・ケアを担い、病院がより高度な医療を担うことが期待されていますが、実際は必ずしもうまく機能していない場面が多くあります。この病診連携を円滑に進めていくため、私はクリニック側の課題として、経営力アップ、特にマーケティング(集患)や人事マネジメントの適正化を支援したいと考えるようになりました。
「医師・看護師のキャリア形成」
人材紹介サービスの営業として、リクルートメディカルキャリア時代に数多くの医療専門職の方々(特に医師と看護師)にお会いしました。皆仕事への思いのある方々ですが、必ずしも自らの将来像を最初からイメージできている訳ではありません。転職後結果的に望む仕事を選べないことも多く、キャリアコンサルタントとしては歯がゆい思いもたくさんしてきました。医療専門職が学生時代・研修時代に「意識的・計画的なキャリア形成」の示唆を受ける機会の重要性を感じました。また人材サービスも、単なる仕事探しのお手伝い、「点」の支援ではなく、キャリアに伴走する「線」の支援が必要だと思い、許される限り医師・看護師の皆様と長期のお付き合いを心がけてお手伝いしてきたつもりです。
「地方の医療」
2020年現在、私の出身地である千葉県の外房エリアをはじめ、多くの地方が医療崩壊の危機に直面しています。私の父は2002年に茂原市内で脳梗塞を発症し、懸命な治療・リハビリの甲斐なく、6年後に60歳で亡くなりました。倒れる一週間前に私の結婚式があり、油断があったかと思いますが、家族も私も父の急病に対する心の準備ができていませんでした。さらに長生郡市の救急医療体制の限界もあり、発症後の初動が良くありませんでした。この時の歯がゆい経験から、「地方の医療を何とかしなくては」という問題意識が常に頭にあり、クリニックエージェントの仕事を通じて、地方の医療に少しでも貢献したいと考えています。また私自身のキャリアのゴールは、地方でのクリニック経営に定めています。
長くなりましたが、これらがクリニックエージェントを生涯の仕事と定めるに至った事情です。私の職業人生はまだ20年以上残っており、日々自分が社会に貢献できる価値を意識しながら、お客様のご支援に邁進していきたいと思っています。